2005年09月26日

「政策の革新性」

 十数年前にベルリンの壁が崩れ、東ヨーロッパの社会主義・共産主義の国々が崩壊して、東西の対立の時代が終焉しました。
 それまで日本では、ソ連や中国の社会主義・共産主義の社会を理念とする政党を「革新政党」と呼んでいました。
 一方、アメリカや西ヨーロッパ諸国のように自由主義を理念とする政党を「保守政党」と位置づけていました。

 ところが、ソ連という国家が亡くなり、中国が自由経済化すると、保守とか革新とかの意味は持たなくなり、一件死語のようになってしまいました。
 保守というからには守るべき価値は何か、革新というからには何をどのように変えるのか、明確にする必要があります。

 例えば、今回の総選挙の争点となった「郵政民営化」にすれば、改革しようとしたのが小泉自民党で、改革に反対したのが民主党・社民党・共産党でありました。
 古い体質の自民党の保守派が反対したのは、現体制の維持という点では当然かも知れませんが、本来革新を標榜する野党が改革に反対したことに、今回の自民党の大勝があったのではないでしょうか。
 どうも、この保守・革新の色分けは、現体制に対し、守るか変革するかの視点と制度や政策によって改革して行くかの二つの視点があるような気がします。

 少し話題を替えますが、古都・京都は平安の昔から約1,200年以上栄えた都であるばかりでなく、日本の歴史・文化の源泉であり、日本人の心のふるさとでもあります。
 日本のどの都市・どの地域よりも、より日本的で優雅な伝統文化は、外国人の憧れの地でもあり、日本の数少ない国際観光のメッカでもあります。

 しかし、この京都の歴史を守り続けたのは、古い物をまもるという単純な保守的な考え方だけでは、現在の京都を守ることは出来なかったようです。
 京都の人々は、何を守るべきか、何を改善すべきかを良く理解し、心得ていたからこそ守り抜くことが出来たと思うのです。
 極言すれば、保守的な基盤に常に創意工夫を重ねて来たからこそ、京の織物や工芸・和菓子に至るまで、伝統が守られてきたのではないでしょうか。

 あの明治維新が成功したのも、幕府の目を逃れて勤王の獅子をかばい続けた、京の人々の先を見る目があったからではないでしょうか。

 このように、政党が時代という荒波を読み、世論の風を受け、国家社会という船を航海する時、常に変化への決断が要求されます。
 私が大変興味深く思っているのは、日本の革新政党は一貫してマルクス思想を堅持してきましたし、最近では、日本国憲法を守ろうと努力しています。
日本の伝統や文化にも精通し、むしろ政策的には保守的な姿勢を貫いているのです。 

 これに対し、自民党は時代の変化に敏感に反応して、高度経済成長期には革新政党が唱えていた福祉政策などを先取りしたり、時代のニーズや政策に対し柔軟に対応してきたことが、政権を維持した最大の要因ではないでしょうか。

 この意味で、今回の小泉自民党の大勝は、小泉総理のあくなき革新性にあったことを忘れてはならないと思います。
 もし、自民党がこの結果に対し、「守り」に入り、革新性を失った時、国民は厳しい審判を下すことは間違いありません。

秋 鹿  博
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「自民党は本当に勝ったのか」

「小泉劇場」と言われた衆議院の解散総選挙は、自民党の大勝利で終わりました。
今までの常識を破り、執念とも言うべき「郵政民営化」の信念を貫いた、小泉さんの大勝利でした。
 日本の政治を変えるには、まずその政権党である、自民党の体質を改革しなければならないと、誰もが考えましたが、それをこれほどまでに実行した人は他にはいません。

 自民党は小泉さんが総理になるまでは長落傾向にあり、選挙の度ごとに得票を減らしてきました。それは、政策よりもむしろ、派閥や企業献金にまつわる「金と政治」の不祥事が後を絶たなかったからです。

 一口で言えば、「自民党の体質」に国民がへきへきとしていたのです。
小泉さんは、この自民党の体質を変え、長老政治・派閥政治を排除して、清潔な政治・開かれたオープンな政治・わかり易い政治により、国民の人気を一心に集めてきました。

 小泉さんは日本では珍しく、「目的追求型」の首相ではないかと思います。
今までは総理になることが目的で、何のために総理になるのかは二の次で、良くわかりませんでした。
総理になるには自民党国会議員の多くの支持を得なければなりませんから、派閥の長となって、出来る限り政敵をつくらず、他派閥からも協力してもらう「合意形成型」の総理を生み出してきました。

 このようにバブル崩壊前は、外交も内政も「みんなで渡ればこわくない」式でやってきたのです。
そして、経済成長の右肩上がりの時代には、これでなんとかうまくいっていました。

 それは、地上では天候不順の風雨にさらされても、地面の中は微動だにしないというように、政治が多少混乱していても、行政(官僚)がしっかりしていれば、なんとか国は運営されてきたのです。
 各省庁に優秀なキャリアと言われた官僚が政策の立案をし、上位下達で地方に流してきたからです。
 ところが、バブル経済が崩壊し、右肩上がりの時代が終焉すると、今までの惰性で政策を遂行していくことは許されなくなりました。

 一方、少子高齢化現象はいよいよ激しくなり、政治も経済も行き詰まり、社会全体のしくみを変革せざるを得なくなりました。

 それが、年金であり、医療であり、その根っこにあるものは財政危機で、700兆円とも800兆円とも言われている借金地獄からの脱却です。
これは、誰が悪いとか、誰の責任とかの問題ではなく、時代のニーズであり、政治家はもとより国民全体の意識改革が必要なのです。

 とりわけ、このような現状を生み出したのは政治の責任であり、特に政権党であった自民党の責任は重大です。
 民主党がいくら政権交代を叫んでも、まだそれだけの能力や力量が不足していることを国民の大多数が見抜いていたから、もう一度自民党に託そう、いや、小泉さんにやってもらおう、もっと言えば、「今、小泉さんしかいない」というのが実態ではないでしょうか。
 この意味で、自民党は勝利したものの、大きな宿題を背負うことになったのです。

 なぜなら、戦後60年かけて構築してきた現在のシステムを、1年や2年で変えることは困難ですから、短期・中期・長期の改革案を国民の前に明らかにすべきではないでしょうか。
 この時の最大の問題は、小泉さんの総理・総裁の任期があと1年であり、1年では到底仕上げることは出来ないので、道筋をしっかりつけるということ、それを誰が引き継ぐかが最大の課題なのです。

 今回は冒頭に述べたように、自民党が勝ったというよりも、小泉さんが勝ったのですから、今回の大勝利は一時的な現象で、ポスト小泉によっては逆戻りする可能性もなしとしません。

 むしろ、大勝利した自民党はいよいよ正念場で、党の存亡をかけて大改革に邁進しなかった場合は、今度は完全に国民からイエローカードならぬレッドカードを突きつけられることを覚悟しなくてはなりません。
 となると、今回の勝利は予告編のようなもので、この任期中に改革の実績を高く掲げて、次の総選挙で国民の信頼を勝ち得た時、本当の勝利と言えるのではないでしょうか。

                                 秋 鹿  博
posted by あきしか at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

「世のため、人のため」

大相撲の秋場所が始まった。今場所の焦点は、横綱朝青龍が6場所連続優勝をするかどうかであり、相撲界は正に「朝青龍時代」である。

 もちろん朝青龍の努力は素晴らしいが、この独走を許した大関陣をはじめ、日本力士のふがいなさには目に余るものがあり、昔からの大相撲ファンは嘆いているばかりか失望もしているようだ。
 そんなに体も大きくない、いや小さい朝青龍がなぜこんなに強いのか、また、なぜ日本力士がこんなに弱いのか、まったく解らない。

 現在外国人力士は、幕内だけでも朝青龍を筆頭に11人も数え、十両以下予備軍が多勢いて、みんな力をつけ頑張っているようだ。

 最初は言葉も通じなく、相撲界のしきたりに慣れず、生活の不自由さに戸惑ったはず、そんな中でコツコツと力を発揮してきているのは一体何だろうと考えさせられる。
 当たっているかどうかは解らないが、私なりに考えてみると、人間とは、どうも自分の幸せ、自分の欲望を満たすだけでは、持続的な意欲やファイトが持てないのではないかと思えてくる。

 例えば、外国人力士の目標は、強くなって「給金や懸賞金」を稼ぎ、祖国や家族の元へ「仕送り」をすることが何よりも喜びであるらしい。
 国際的な通過の事情(円高)も加わって、日本から送金する「金の価値」は想像する以上にすざまじいものとなっているはず。
 想像だが、おおげさに言えば、おそらく朝青龍が送金した金は、モンゴルの国家予算に比べても、決して見劣りするものでなく、国へ帰れば「英雄的存在」であることは間違いない。

 日本人本来の「根性」「精進」「ハングリー精神」は、今やどこかへ行ってしまい、外国人力士に奪われてしまった感がある。

 かつては寒い北海道や東北出身の力士は、初代若乃花や大鵬、北の海、千代の富士などの名横綱を生み、常に上位力士であったし、相撲界ばかりでなく、集団就職で「田舎」から「都会」に出て、「苦しいこと・辛いこと」を経験しながらたくましく成長し、大企業の幹部や中小企業の経営者になって、経済界や地域社会で活躍されている人も多い。

 どうも私たち人間は、物が豊かな時よりも貧しい時の方が「美しく生きられそうだ」。
自分の幸せ、自分の欲望を満たすだけでは、本当の喜びは得られないのではないか。
 祖国や家族など、「人のためになっている」という実感が、次の目標・目的に向かって努力する源泉となるのかもしれない。

 ひょっとすると、外国人力士から、私たち日本人が忘れかけていた「日本の心」を取り戻す良い機会として、教えられているのかも知れない。

 本来「恥の文化」と言われたように、他人のことをいつも気にした日本人が、戦後60年、いつの間にか、人のことより何よりも自分のことを考える、自己中心的な日本人になってしまった。

 もちろん、自分のことを第一に考えるのは当然であり、誰もがこのことを認めている。しかし、同時に自分だけでなく、周りのこと、例えば家族や友人、近所の人のことに気を遣うことも大事ではないか。

 本当の個人主義とは、自分という存在を相手に認めてもらうと共に、相手の個人としての存在を認めることであると思う。

 いつの時代も、「人間は一人では生きられない」。
意識するか、しないかにかかわらず、少しキザかも知れないが、やはり人間は「世のため、人のため」に生きることに生き甲斐を見い出し、そのことに喜びを感じ取るような生き方が出来たら素晴らしいと思う。

 今、私たち日本人は改革・改革と叫ぶ前に、自らの足元をしっかりと見つめ直さなければならないと思う。

                                秋 鹿   博
posted by あきしか at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月02日

「日本とアメリカのプロ野球の違い」

 連日アメリカ・大リーグの報道が、テレビから目の中に飛び込んできます。
イチロー選手と松井選手の活躍は私たち日本人、特に野球少年達に、誇りと勇気を与えてくれていると思います。

 このように、大リーグが日本のテレビに取り上げられるようになったのは、何と言っても野茂投手の活躍にあります。
その前に、まったく未知の世界に身を投じた村上投手の存在も忘れてはなりません。
 田口選手も井口選手も良く頑張っていますね。

 今や日本の野球は、その技術面においてはアメリカと並んだと言って良いと思いますが、後は選手一人ひとりの個性とパワーだけのような気がします。
 ところが、アメリカのプロ野球の人気と日本のプロ野球の人気の違いは一体何であろうか、と考えさせられてしまいます。

 アメリカでもプロ野球が低迷し、陰りを見せた時がありました。
 せっかく入場券を買ったのに、選手のストライキで試合が中断することがしばしばあり、経営側と選手側がいがみ合い、混迷している間にバスケットやアメリカンフットボールなど、量も質も多様化しているプロスポーツ界に台頭されて、野球が国民とファンからそっぽを向かれてしまったのです。

 そこで、アメリカのプロ野球界は大改革に取り組んだそうです。
まず、野球場の改築・改造をしました。
危険防止で張られた網を全部取っ払い、グランドと観客席を身近にしました。
選手とファンが同じ目線で交流できるように、一体感を演出しました。

 おそらく日本では、安全だ!危険だ!と言って、こんな思い切ったことは出来ないでしょう。
 いきなりボールが飛んできますから、ファンはプレーから目を離すことは出来ません。
 そこで、観覧席に入ってくるボールがプレゼントされるので、大人も子供もグローブを持って行きます。
 「自分もプレーに参加している」という実感が、アメリカプロ野球の魅力の一つと言えるでしょう。
 楽しむためには危険というリスクも伴い、それは個人の自己管理に任せるという考え方です。

 しかも、アメリカの球場は1つとして同じようなものはなく、そのデザイン、アイディンティティは実に個性的で、そのフランチャイズの町の特色を遺憾なく発揮して、野球だけでなく、アメニティ(遊び心)をふんだんに盛り込まれているのです。
 また、本来のアウトドア(野外)の原点に帰るため、極力人工芝は無くして、自然芝に替えていくとか、ドームではなく天開型にして行くとか、日本はこの流れに逆行しているようです。

 野球整備がハード施策とすれば、システムはソフト施策ということになりますが、これも工夫され改善されたようです。
 まず、特定の有名な選手にありがちな年俸の上限を決めて、行き過ぎた給料を抑制しているとのこと、さらにビックリしたのは、何と日本の政治で変革しようとしている地方交付税(赤字の市や町に多く配分する制度)のように、黒字の球団から赤字の球団へ助成する制度を採用していることです。

 このように、あのアメリカでも何でも競争、競争では、長い目でみると弊害を残し、全体として、プロ野球の発展を阻害すると考えているのです。
 自由競争を放置すれば、ただ強いチームと弱いチーム、観客動員力のあるチームとそうでないチームの開き、格差が出てしまうことを予想して、出来る限り緊張感のあるバランスを常に考えているというのです。
 アメリカのプロ野球の人気の秘訣は、この経営者と選手会、そして何よりもファン(国民)の三者が一体となって取り組み、協力し合っている姿であり、これが成功の源となっているのです。

 日本のプロ野球界においてもすったもんだの末、パ・リーグに楽天という新チームが参入し、ロッテの快進撃で大いに盛り上がっています。
 これに比べ、セ・リーグは阪神・中日は頑張っているものの、巨人の低迷ぶりは目を覆うものがあり、プロ野球全体の足引っ張っているというのが実態です。
 これは、目先の損得ばかりを考え、年俸で有名選手を買いあさった結果であり、当然の報いだとお思います。

 アメリカのプロ野球の改革には、まずポリシー(理念)があって、その次にその理想に近づける方針があるのです。
 この理念と方針によって、5年後、いや10年後の目標を定め、それを具現化する施策があるのです。

 アメリカのこの改革を参考にして、日本のプロ野球界においても、ドラフト制度一つ取っても球団の利害だけでなく、将来大選手となる可能性のある金の卵を日本野球界の人財として育てるような長期的な視野に立って、思い切った改革案をファンの前に明らかにして欲しいものです。
 
 巨人の監督に誰がなるかという低次元の発想からそろそろ脱却して、「ファンあってのプロ野球である」ことを肝に命じて頂きたいと、野球をこよなく愛する一人として願ってやみません。

                               あきしか  博
posted by あきしか at 17:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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