2006年02月23日

自然からの警鐘「山は海の恋人」

 今年の冬は例年になく厳しかった為、桜の開花も1週間から2週間遅れるそうです。
大自然は美しい景観や天の恵みを人間に与えてくれますが、時には天災という厳しい試練を与え、人間社会に問題を投げかけます。

 私の一貫した思いは、「人間も自然の一部であって、人間だけの自然ではない」ということです。

 最近、野生動物のシカやイノシシ、サルなどが里山に下りて来て農作物を荒らしたり、クマに至っては人や民家を襲うなどの事件が頻繁に起きています。
もちろん人間社会から見れば、とんでもない物騒なことですから、有害鳥獣駆除を名目に、猟友会の人たちに依頼して撃ち殺したり、棚や金網を設けて進入を防いだりしています。

 また、カラス、ハトなどの鳥の被害に頭を痛め、いたちごっこの戦いを長年続けている地域もあります。
この対策は試行錯誤で苦労している割りには効果はなく、万策尽きたと嘆いている関係者も多いと聞きます。
そこで、百歩譲って動物や鳥の側に立って考えてみることも必要ではないでしょうか。

 まず考察してみたいのは、いつ頃からこのような現象が現れたかです。
明らかに言えることは、山に餌がない、食物が少ないことが最大の理由で、山が死んでいることです。

 かつて豊かで多彩な山々は、ブナやミズナラ、シイ、ドングル等の自然林に覆われ、草が繁り、実が連なり生物たちの生息をもたらし、枯葉や動物の排泄物は堆積して有機質の表土をつくり、この豊かな大地が微生物やミミズなどの鳥や昆虫の餌を生み、小動物を育て、この小動物を大動物が食べて、野生の掟が守られ大自然を築いて来たのです。
この植物連鎖による循環作用が緑豊かな山を育て、水源涵養や水害防止の保水力を保ち、人間社会の集落を守り、やがて下流の都市の生活を維持してきたのです。

 ところが、戦後焼土化した都市の再構築に大量な木材資源が必要となり、一斉に杉や桧を植えなければなりませんでした。
市民生活においても、その燃料は薪や炭、練炭ですべて原料はクルギ・ドングリ等の広葉樹などの木材でした。

ある日突然、台所にガスレンジが入ると循環していた自然林は、薪がお金にならなくなり、切り倒されて杉や桧林に変わったり、宅地になったりしました。
せっかく成木した杉や桧は筏期が来ても、高いコストと市場の安値からとても輸入材と競争も出来ず放置されているのです。

 先述の動物たちの里山への出現は、考え方によっては「山の神からの使い」ではないでしょうか。
人間社会への警告であり、猛省を促す何ものではないと考えるべきです。
水源の涵養と災害防止は、国・地方を問わず、何よりも優先されるべき公共事業です。
このように考えると、山林は最早個人の所有することには限界があり、山の管理についての発想を転換する以外にありません。

 最近、漁師の人達が山に木を植えています。
活きの良い魚は清流が注ぐ海に生息するからです。

また、都市の安全は村落や集落があってこそ守られているのです。
今こそ川上と川下、都市と農村が力を合わせなければなりません。

「山を守る」ことに、都市と川下の人たちが応分の負担をしてもらうことは、時代の趨勢であり、その制度を創設することが急務ではないでしょうか。

 「山は海の恋人」とは正にこのことなのです。

                                 秋 鹿  博
posted by あきしか at 09:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック


Excerpt: ドングリドングリ(団栗)はブナ科のクヌギ・カシ・ナラ・カシワなどの果実(正確には種子ではない)の総称で、狭義にはクヌギの果実を指す。内部の種子の大部分を占める子葉はデンプン質に富む。小動物の食料や、日..
Weblog: 災害を知るHP
Tracked: 2007-10-14 12:51
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。