2006年04月21日

「若者のエネルギー」

 とうとうフランスの若者達は、政府の「若者雇用対策法案」を撤回に追い込みました。これは、学生を中心とした抗議行動に、シラク大統領やドビンパン首相が屈した形で、政府側の大失態となりました。

 法案の中味については様々な意見があり、双方の言い分にはそれぞれの立場や思惑があり、一概には言えませんが、私が感心、いや、驚いたことは、フランスの学生や青年達が立ち上がり、反対運動を起こし、徹底して抗議したことです。

 欧米に共通して言えることは、若者達が国の政治や政策に高い関心を持ち、政治を変えるエネルギーとバイタリティを持っていることです。
 また、政府や国会が間違った判断をしたならば、反対運動を起こし、止めさせることが出来るという民主主義に必要な緊張感を国内外に示した、と言っても良いと思います。

 比較すること自体どうかと思いますが、果たして日本ではこのような事が、起こり得るのでしょうか。
 かつての学生運動は、あの忌まわしい浅間山荘事件以来、鳴りを潜め、国民の記憶から忘れ去られようとしています。

 私は事の良し悪しは別として、若い人達が国家や社会の矛盾や不合理に対し、その正義感から腹を立てたり、抗議をすることは当然だと思っていますが、どうでしょうか。 
 
 いや、むしろ今の日本社会は、「自分さえ良ければ、人のことはどうでも良い」という風潮が横行して、世のため人のために、時には血や汗を流すことを忘れてしまい、緊張感に欠けていることが問題なのです。
 問題があった時、問題が指摘され、公の事であればそれが公開され、議論される方が健全であると考える方が正常ではないでしょうか。

 たしかに、現在の日本でそのような反対運動や抗議行動が起こらないのは、社会全体が世界の各国に比べ、「かなりうまくいっている」ということもあるかも知れませんが、本当にそうなのでしょうか。

 私には、むしろ戦後導入された民主主義の中の権利のみの「いいとこ取り」と、経済発展にによる「拝金主義」によって、日本人の心に、個人主義ならぬ利己主義がはびこり、「社会正義や義憤」「公共心や公徳心」が失われて、「自分以外のことに無関心」になっているような気がしてなりません。

 10年前に駅のホームで起きた殺人事件で、息子を失った父親が、今も犯人の手掛かりとなる情報を求めて、苦悩する姿をテレビで見て、誰か助ける人がいなかったのか、せめて駅員に知らせたり、110番に電話したりする人がいなかったのか、白昼、人ごみの中で行われた犯罪に、こうまで「見て見ぬふり」が出来るのか、加害者よりも無関心者の方に、何か重い恐ろしさを感じるのは私だけでしょうか。

 本来、日本人は社会道徳や規範を守り、清潔で義理人情に厚い、国民性を持っていたはずです。

 憲法の改正も教育基本法の改正も、政府間の取り引きや妥協ではなく、国民生活の原点と現実に、もっと目を向けた議論をして欲しいと願わずにはいられません。

                                 秋 鹿  博
posted by あきしか at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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