2005年08月29日

恩師逝く「白鳥蘆花(ろか)に入る」

またひとり、大事なひとを失ってしまいました。
お会いしてからもう40年近くなるでしょうか。
わたしの恩師である、西ヶ谷悟先生という方です。

 お盆明けの17日、静岡市のセレモニーホール静岡で、先生の告別式がしめやかに行われました。
 ご親戚はもちろん、先生と親交のあった方々が多数参集し、先生を悲しみの中で見送りました。

 まだ私が23〜24才の頃、青年団の研修会の講師としてご指導を受けて以来、政治・社会・経済などのあらゆる分野の識者として薫陶を頂きましたが、最も影響を受け、しかも他の先生方では代わりが出来ないほど先駆けていた、社会教育・コミュニティづくりの分野は、先生の独壇場と言っても言い過ぎではありませんでした。

 当時の公民館の運営テキスト・コミュニティづくりのマニュアルなど、静岡県の生涯学習・社会教育・青少年教育の指導書は、ほとんどと言っても良いほど、西ヶ谷先生の書かれたものだったのでした。

 その意味で、先生の果たした役割りと業績は、その道の人なら誰でも知っています。
特に、先生は長い間、全国津々浦々に講演に歩いていましたので、遠方からの弔電や供物が多く、生前の活躍が偲ばれました。

 私は、奥様から払いの膳での献杯の発声を頼まれ、一言言って欲しいと言われましたので、次のようなあいさつをし、先生の御霊の安られんことをお祈りしました。

 「私は只今ご紹介を頂きました秋鹿と申します。私は、先生の数多い弟子の一人で、私たちにとって、師と仰ぐ西ヶ谷先生との別れは、痛恨の極みであり、誠に残念でなりません。先生は、『生きた広辞苑』とでも言いますか、本当に色んなことを知っている、知識の宝庫のような方でした。私も困ったことや壁にぶち当たった時は、静岡の曲金の家を訪ねて、一時間くらい先生と話をしていると、ハッとヒントを得て、目先が明るくなるような経験を、何度もしております。これからは、私たちが先生の精神を受け継いで、頑張って行かなければならないと、責任を感じております。
 それでは、西ヶ谷先生のご冥福をお祈りしてここに献杯をいたします。」

 私にとりまして、西ヶ谷先生から人生の指針やリーダーとしてのあり方など、数え切れないほど、多くの「言葉」を教わりました。
 
 その中で特に私の生き方に影響を与えた言葉は、「白鳥蘆花に入る」というものです。
 白い水鳥が、白い花の咲く水草の中に入って行くと、姿が見えなくなりますが、よく見ると水草がざわざわと動いている。
 中国の古代の人々は、これをリーダー(指揮者)の理想的な姿として、この言葉を大切にしているそうです。
 つまり、真のリーダーは号令をかけたり、高い所にいるのではなく、大衆の中にあって姿は見えない。しかし、その人の思想や生き方は広く静かに広がって、多くの人に影響を与えるものだと言うものです。

 生涯学習が叫ばれてから、伴すると社会教育が忘れられがちですが、家庭教育・学校教育と並んで、この社会教育の充実なくして生涯学習の進展はないもの、と思っております。
 学校には卒業式がありますが、社会教育には卒業はなく、終わりはないのです。
先生は、「昔、勉強をした」という過去形ではダメで、「今、勉強している」という現在進行形でなくてはならない、とよく言っておられました。

 私は、西ヶ谷先生の足元にも及びませんが、「社会教育研究家」を自負しております。
西ヶ谷先生からバトンをしっかり受け継いで、今後も精進して行くつもりです。
 
 先生のご冥福を心よりお祈り致します。

              秋 鹿  博
posted by あきしか at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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