2005年09月15日

「世のため、人のため」

大相撲の秋場所が始まった。今場所の焦点は、横綱朝青龍が6場所連続優勝をするかどうかであり、相撲界は正に「朝青龍時代」である。

 もちろん朝青龍の努力は素晴らしいが、この独走を許した大関陣をはじめ、日本力士のふがいなさには目に余るものがあり、昔からの大相撲ファンは嘆いているばかりか失望もしているようだ。
 そんなに体も大きくない、いや小さい朝青龍がなぜこんなに強いのか、また、なぜ日本力士がこんなに弱いのか、まったく解らない。

 現在外国人力士は、幕内だけでも朝青龍を筆頭に11人も数え、十両以下予備軍が多勢いて、みんな力をつけ頑張っているようだ。

 最初は言葉も通じなく、相撲界のしきたりに慣れず、生活の不自由さに戸惑ったはず、そんな中でコツコツと力を発揮してきているのは一体何だろうと考えさせられる。
 当たっているかどうかは解らないが、私なりに考えてみると、人間とは、どうも自分の幸せ、自分の欲望を満たすだけでは、持続的な意欲やファイトが持てないのではないかと思えてくる。

 例えば、外国人力士の目標は、強くなって「給金や懸賞金」を稼ぎ、祖国や家族の元へ「仕送り」をすることが何よりも喜びであるらしい。
 国際的な通過の事情(円高)も加わって、日本から送金する「金の価値」は想像する以上にすざまじいものとなっているはず。
 想像だが、おおげさに言えば、おそらく朝青龍が送金した金は、モンゴルの国家予算に比べても、決して見劣りするものでなく、国へ帰れば「英雄的存在」であることは間違いない。

 日本人本来の「根性」「精進」「ハングリー精神」は、今やどこかへ行ってしまい、外国人力士に奪われてしまった感がある。

 かつては寒い北海道や東北出身の力士は、初代若乃花や大鵬、北の海、千代の富士などの名横綱を生み、常に上位力士であったし、相撲界ばかりでなく、集団就職で「田舎」から「都会」に出て、「苦しいこと・辛いこと」を経験しながらたくましく成長し、大企業の幹部や中小企業の経営者になって、経済界や地域社会で活躍されている人も多い。

 どうも私たち人間は、物が豊かな時よりも貧しい時の方が「美しく生きられそうだ」。
自分の幸せ、自分の欲望を満たすだけでは、本当の喜びは得られないのではないか。
 祖国や家族など、「人のためになっている」という実感が、次の目標・目的に向かって努力する源泉となるのかもしれない。

 ひょっとすると、外国人力士から、私たち日本人が忘れかけていた「日本の心」を取り戻す良い機会として、教えられているのかも知れない。

 本来「恥の文化」と言われたように、他人のことをいつも気にした日本人が、戦後60年、いつの間にか、人のことより何よりも自分のことを考える、自己中心的な日本人になってしまった。

 もちろん、自分のことを第一に考えるのは当然であり、誰もがこのことを認めている。しかし、同時に自分だけでなく、周りのこと、例えば家族や友人、近所の人のことに気を遣うことも大事ではないか。

 本当の個人主義とは、自分という存在を相手に認めてもらうと共に、相手の個人としての存在を認めることであると思う。

 いつの時代も、「人間は一人では生きられない」。
意識するか、しないかにかかわらず、少しキザかも知れないが、やはり人間は「世のため、人のため」に生きることに生き甲斐を見い出し、そのことに喜びを感じ取るような生き方が出来たら素晴らしいと思う。

 今、私たち日本人は改革・改革と叫ぶ前に、自らの足元をしっかりと見つめ直さなければならないと思う。

                                秋 鹿   博
posted by あきしか at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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