2005年11月17日

「後の祭り」

 今年は天気にも恵まれ、年に一度の「富士宮秋まつり」は、盛大に開催された。
年々開催区が増えて、昨年から加わった阿幸地地区も、今年は本格的に立派な会所をつくり、仲間入りした。

 中心市街地20区のこどもたちから元老まで、正に老若男女も、この時ばかりは自分の住んでいる「区」に意識が高まり、「まつり」を通じて地域の絶好のコミュニティの場となっているなと感じる。
 また、地域の担い手の育成、「人づくり」にも一役買っているのではと思う。
 老若男女すべてに活躍の場があり、古い伝統としきたりを守り続ける「まつり」のある「ふじのみや」は、やっぱり誇れる「まち」です。
 
 しかし、祭りが盛大になればなるほど、祭りが終わってからの、この一抹の寂しさは何だろう。

 この秋まつりへの情熱が、日常の「にぎわいのまちづくり」へのエネルギーに点火出来ないだろうか、といつも思う。終わってしまうと、また静かな人通りのない街に帰ってしまうからだ。
 来年の「浅間大社1200年祭」を間近にして、一瞬のにぎわいだけで、果たしてこれでよいのだろうか。

 県指定無形民俗文化財である「富士宮ばやし」の競り合いは、とても勇壮で迫力があって、じゅうぶん観光文化資源として自慢出来る。引き廻す山車や屋台も「区」によっても個性が出ていて、楽しめます。

 しかし、もうひとつ何かが足りないと感じてしまう。
 それは見せる側からの「見る側の視点」に配慮が少々足りないのでは?
 この見る側の視点が、発展し拡大してメジャーになったのが、「風の盆」であり、「よさこい祭り」「阿波おどり」。
 もっともっと、観光客も市民も巻き込み、「見る側の視点」と一体のモノとして考慮できないだろうか。また、「にぎわい」も継続できないだろうか。

 今やショッピングが、テレビショッピングやネットショッピング、カタログショッピングなど、物を買う形、方法、手段が変わってしまった。
 もちろん、最大の影響は郊外の大型ショッピングセンターの出現が大きい。

 街の機能が「物を買う機能」から「楽しみ交流する機能」へ移っているのは解っているのだが、、、。
 
 祭りの時だけ昔の賑わいを思い出し、「昔は良かった」などと言って手をこまねいていては「後の祭り」に終わってしまう。

秋 鹿  博
posted by あきしか at 15:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Tracked: 2005-11-17 16:15
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