2005年04月21日

政治家の魅力

 アメリカの国民が尊敬している人物の中に、政治家の名前を挙げる人が多いと聞きます。
 建国時代では、ワシントンやリンカーン大統領、戦後ではアイゼンハワーやケネディ大統領など、歴代の大統領はアメリカ国民だけでなく、全世界の人々から尊敬され親しまれてきました。

 特に、イギリスや日本のような王室や皇室のないアメリカ国民にとっては、大統領はただ単に政治の最高責任者と言うだけでなく、国民共通の崇敬と憧れを心の中に抱く元首的な対象としての存在であると言っても良いと思います。

 さて、日本ではこの大統領に匹敵し比較されるのが内閣総理大臣であり、別の言い方をすれば首相であります。

 先述した「尊敬する人」として、日本国民が歴代首相や時代の節目で活躍した政治家を挙げる人が少ないのは何故でしょうか。

 私は一概には言えませんが、その理由として次の三点が考えられると思いますが、いかがでしょうか。
 アメリカの建国から歴史を見れば、多民族国家の宿命とでも言いましょうか、常に国家のあり方を巡って、テロや暗殺の危険にさらされてきました。だからこそ、政治家は高い理想を掲げて、勇気と正義を貫ぬかなければなりませんでした。
 しかも、時代の節目や混乱期であればあるほど、大統領のリーダーシップが要求されます。

 この国家の危機を「命を賭けて守る」その姿に思想の違いはあったとしても、心を打たないなずはありません。
 しかも、直接の選挙によって、国民が選んだ大統領にしか与えられない、強大な権限を有していることも忘れてはなりません。

 さらに、一期四年、長くても二期八年と規定されているため、政権が安定し、選挙目当ての党利党略は通用しません。
 議員内閣制である日本の政治システムとの根本的な違いがあります。

 次に、政治家個人の質と品性の問題であります。
少なくとも高い理想と理念を掲げ、高潔な倫理観と品格を有していなければ政治家としてふさわしくないのは当然です。

 やはり、政治家の魅力は現実を見据えて「将来の夢とロマン」を語り、「国のあり方と国民の幸せ」を願い、その実現の為の「具体的なビジョン」を持っているかどうかではないでしょうか。
 そして、困難を乗り越えて、それを「実行する」ことではないでしょうか。

 しかし、反面これだけマスコミが発達し、政治家個人のプライバシーや過去を興味本位に公表するようになると、誰でも完璧な人はいませんので、負の部分のみが強調され、優れた実績も栄光も影を落としてしまうのです。

 もちろん、個人としての人間性は尊重されるべきですが、何よりも国家・国民の為に体を張って真剣に取り組んだ汗と涙の結晶とも言うべき、「成果と実績」こそ高く評価されなければならないのではないでしょうか。

 少なくとも若者達が政治に関心を持ち、政治家を尊敬する社会を築かなければ、後に継ぐリーダーは生まれてきません。

 民主主義とは、良い社会をみんなで創ることにあります。
政治家に求めることも否定はしませんが、それ以上に政治家を育てることを忘れてはならないと思うのです。

秋 鹿  博
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2004年06月01日

「税金と保険のちがい」〜国民年金騒動に思う〜

 今回、国民年金の改正案をめぐって国会議員の未払いが発覚し、出るわ出るわ、次から次へと大物政治家の未納が明るみに出て、とうとう小泉首相までがその対象になってしまいました。おかげで、国民の生活に欠くことの出来ない年金の中味の論議が、吹っ飛んでしまったことは、悲しむべきことだと思います。
 なぜなら、近く行われる参議院選を有利にしようという党利党略が見え見えで、審議拒否やボイコット戦術を指摘して、国会の使命を果たしていないからです。
 従って、将来の年金のあり方や、今回提案されている内容について、国民の知る権利を奪ってしまったことは、極めて重大な責任と言わざるを得ません。
 この件で国会に対する国民の不信を増大したばかりでなく、国会議員の品位とレベルを著しく下げ、民主主義の根幹を揺しかねない問題となってしまったからです。
 中でも、菅さんは、閣僚を「未納三兄弟」と掫揄していながら、本人自らも同類項であったなんて、一国の先行きを担う国会議員として恥ずかしことだと思います。
 しかし、一方で私は、菅さんは本当に自分の未納について知らなかったのではないかと思います。そうでなければ、あれだけのパフォーマンスを演ずることは到底出来ません。
 つまり、国会議員の先生方が掛け金が惜しくて払わなかったのではなく、「払うことは国民の義務である」という認識が欠如していたのであって、「法律を良く理解していなかった」と言うのが真相ではないでしょうか。
 ここで、私が敢えて「民主主義の根幹を揺がしかねない」と大げさな表現をしてのは、
ひょっとして他の法律についても充分検討されないまま、国会対策という駆け引きによって法案を通してきたのではないか、という疑問を持たざるを得ません。
 この意味では皮肉にも菅さんが、国会の実態を露呈した功労者であると言えるのかも知れません。一国の先行きを担う国会議員は、もっと真剣に考慮した上で取り組んで欲しいと思います。

 かつて、介護保険の導入の際、私は同僚の県会議員と共にドイツに調査に行きました。
ドイツで大変参考になったのは、社会保険・雇用保険・健康保険、そして介護保険など、すべての制度を視野に入れて、国民負担率を所得の50%を上回らないという枠を設けていました。
 介護保険については、要介護を三段階に分け、負担とサービスのバランスを計り、あくまでも公的制度の不足を補うものであって、すべてではないとの事でした。
 つまり、50%を超えれば負担が重く、納税意識と労働意欲が低下し、経済が停滞することを危惧し、またサービスが過剰となると、公的制度に依存しがちとなり、民間活力が失われるとの説明でした。
 国民年金の場合、一元化は理想ですが、掛け金や給付がスタートから違っているので、困難ではないかと思いますが、ドイツの例のように、社会保障全体の視野で考えるべきだと思います。

 私は、今回の騒動の原因の一つに、‘税金と保険のちがい’が分かりにくく、その手続きや解釈に混乱があるような気がします。
 税金は国民の義務であり、滞納があれば延滞金が付き、悪質な脱税であれば重加算税が付き、犯罪として社会的制裁を受けることになります。
 これに対し、保険は加入しなければ権利が発生せず、選択の幅も広く任意であるという民間保険のイメージが強いような気がします。
 ましてや国会議員は、少額給付の国民年金なんかをアテにしなくても良い身分の方々ばかりですから、ついついうっかりしたというのが実態ではないでしょうか。
 このミスをなくすことと、国民の相互扶助という本質を考えれば、国民年金税と名称も替え、対象者は全員加入し、納めてもらうことを徹底した法律にすべきと考えるのは私だけでしょうか。
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職業教育こそ「人づくり」の原点

 よく、「町づくりは人づくり」と言います。
何の改革も改善も究極は人、人材であり、町の魅力は「美しい町並み」も必要ですが、何よりも、そこに住む人の人情や機微、人の魅力にあるということでしょう。
 こう考えると、昔は商人道とか職人気質などと言い、職業によって、それぞれ仕事への‘こだわり’や‘誇り’を持っていたように思われます。例えば、商人では近江商人とか甲州商人とか言われ、物を売る基本、商人としての生き方などを伺い知ることが出来ます。
 職人では、根性とか職人魂とか言われ、一本気で一つの事柄を貫く事を良しとされてきました。いづれにしても、共通していることは、修業時代(仕事を覚え、身に付ける時期)があって辛い厳しい下積みの生活を経ていることです。そして、「奉公」と言って、「年明け(一人前になるまで)」まで仕事はもちろん、掃除・洗濯に至るまで、ひたむきに修行をします。この間にガマンを覚え、厳しい人生を生き抜く知恵や工夫が身につきます。親方や兄弟子にゲンコツをもらったり、叱られたりしますが、この体験は人生の中で最も大切で、特に、「たて社会」の良さや辛さを味わいながら成長して行きます。この徒弟制度の中から、豪商と言われる人が出たり、「名人」と言われる職人の神様のような人が輩出されたりしました。人間国宝や文化勲章を受けた人のお話を聞くと、その技の道だけでなく、人間社会のすべてに通ずる「真理」を伝授されたような感動を覚えることがあります。

 昔(少なくとも戦前)は、大学など高学歴の人は一握りで、ほとんどが農業・商業・職人の自営者であり、みんな貧しく自給自足に近い生活をしていました。しかし、学校は出ていなくても、社会や世間のことに明るく、今の言葉で言えば、「生涯学習・社会教育」が行き渡り、学識は高かったように思います。

 このように考えると、「人づくり」とは、学校教育で身につくのではなく、社会で鍛えられ育てられるものであることが良く解ります。それが、いつの頃からか、「良い大学を出ること」が目的になって、「家庭のしつけ」がおろそかになり、「地域の教育力」が低下してきました。その結果、日本全国で、青少年を取り巻く悲劇が繰り返され、驚くことは、青少年が被害者ばかりでなく、加害者になって社会を震撼させていることです。

 世界中から羨望の目で注目された、勤勉で忍耐強く、世の為人の為に働く日本人の姿は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
まずは個人の基本は「家庭」で、学問の基礎は「学校」で、そして、「社会」でより育まれ培われるのだと思います。何よりも大切なことは、仕事を持ち、働く事を通じて、自らが社会に貢献しているという自覚が、個人レベルで必要なのではないでしょうか。働きながら学んでいくという「職業教育」こそ「人づくり」の原点ではないかと、いろいろな方に育てていただいた、自分が歩んできた経験からも感じます。
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